《Wild Carnations (常夏)》 Her father loved the way she had of making it seem that a great deal was being left unsaid. "Kashiwagi is young and naive, and he halted his investigations before he had come upon the obvious." He was not being very kind to his new daughter. He thought he would look in on her, since her room was not far away. He found her, blinds raised high, at a contest of backgammon. Her hands at her forehead in earnest supplication, she was rattling off her prayer at a most wondrous speed. "Give her a deuce, give her a deuce." Over and over again. "Give her a deuce, give her a deuce." This really was rather dreadful. Motioning his attendants to silence, he slipped behind a hinged door from which the view was unobstructed through sliding doors beyond. "Revenge, revenge," shrieked Gosechi, the clever young woman who was her opponent. Gosechi was not to be outdone in earnestness or shrillness.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「常夏(とこなつ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。E05-051 配電用變電所の保守 カバー折れ・書き込み多数・全体的に汚れ有り レトロ。
原文は「源氏物語・常夏の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。尊攘遺芳/尊攘堂遺墨集/吉田松陰・佐久間象山等維新の志士の書。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 延享4 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 慶應3 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。現在の今上天皇と系譜がつながっている。●極上和本YM2765●後千字文(宝暦6年)異種千字文 安井其名 林鳳谷 宝暦6年 明井仁右衛門板 稀書往来物。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。クン印補正・上下2冊/和装本/豊臣秀吉・武田信玄・伊藤仁斎・狩野画家・宋人名家・元人名家及釈道・明人名家及釈道・清人名家・995人。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。い52-039 元明清書畫人名 全。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。●極上和本YM2665●国性爺往来[国姓爺往来](刊本と写本の2冊)稀書往来物。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。●極上和本YM2672●〈尊円〉花月往来 稀書往来物(初蔵1カ所)万治元年 長谷川市郎兵衛板。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 慶應2 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。A_■津軽弘前古文書■津軽旧士族宅蔵出し■委細不明の書状?等3点組。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。旧家蔵出 激レア 絶版 古書 易学小筌 新井白蛾 箸を取の口博書? 時代資料 歴史 江戸時代 (検:風水四柱推命学易学家相学占星学卜占。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。●極上和本YM2780●〈和訓〉近道子宝(初板本系後印・須原屋板)平井自休作 観樹堂松隠書 初板本は稀書往来物。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。Y3D1-240607 レア[梧窓漫筆 巻下 畏天知命畏聖三録 大田元貞]。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。和本 江戸時代 陳耕勧化文義林 本。また、各巻ごとの書かれた年については不明。日本染色美術館 色と文様。従って、応永五年とは、書き始めの年である。肉筆花鳥雙六(仮題) 江戸中後期寫。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。古文書 巻物 浄土真宗教義 写し 墨筆 江戸時代後期 仏教 法帖 写経 経文 蔵出 約2.3㍍ (親鸞 骨董品。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。い52-036 五體字類 鳴寉老久署寿 書き込み押印あり。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。古書 全唐文 全20巻 大通書局 安値出品。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。●極上和本YM2923●〈新綱〉無覚悟状 仙台板 稀書往来物 享保頃刊 原装・題簽付。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。俳諧七部集 全七巻 元禄七歳次甲戌六月廿八日〜元禄十一寅五月吉日刋。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。●極上和本YM2681●大和小学(山崎闇斎・万治3年初版・上村四郎兵衛板)初板本は稀書 美本往来物 女訓書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。Y90L3-240403 レア[師範漢文 新制版 巻2 簡野道明]橋本左内。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。0019784 月瀬記勝 上下 斎藤拙堂 小型本 鹿田静七 明17。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。本居宣長 玉あられ 寛政四年 和本 題箋 柏屋兵助 書き込み無し本文良 小シミ僅少虫損 玉霰 玉阿良礼 玉阿良連。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。改正 東京案内 明治14年 初版 児玉永成編 大蔵孫兵衛版 B6 銅版絵入り。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。和本 玉くしげ 寛政 本居宣長 / 火忌説 安永 河北景楨 2冊合冊。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。●極上和本YM2804●女節用文字嚢[女節用集文字嚢]宝暦12年板 山本序周 月岡丹下 稀書往来物・辞書 節用集 原装題簽付・極美本。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。●極上和本YM2670●本朝茶経〈茶道歌〉(改装本)稀書往来物 竹村一玄 晴雲堂 稀書往来物。
出品した「源氏物語」は常夏(とこなつ)の内容の要旨
「常夏の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。深奥山方廣萬寿禅寺再住寺開堂拙語 安政5 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。第26帖。【閑】御文 明如 文明(江戸) 東本願寺 御文 法要儀式古典籍 和本 当時木箱付 仏教書 御文章★時代物★6D0601。光源氏36歳の5月の話玉鬘十帖の第26帖。●極上和本YM2814●〈勧善示蒙〉家職要道(明治8年)正司南鴃 松川半山 経済 美本 ゆうパック着払い。巻名は光源氏と玉鬘が常夏の花(撫子)を詠んだ和歌「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ」にちなむ。明治廿年 訴訟法草案 法律 裁判 訴訟 関係資料。源氏の君36歳の夏の話。●極上和本YM2806●女孝経鏡草[女孝経かゝみ草・女孝経かゝ美草]延享5年・本屋又兵衛板 原装題簽付 稀書・美本。盛夏の六条院で、釣殿で涼んでいた源氏は夕霧を訪ねてきた内大臣家の子息たちに、最近新しく迎えられた落胤の姫君(近江の君)のことを尋ねる。E05-057 電気工学原論 上巻 全体的に汚れ有り レトロ。夕霧と雲居の雁の仲を許さない不快も手伝って痛烈に皮肉った。蕪村句集 上下巻 天保八年丁酉六月求版。内大臣と夕顔の君の姫君である玉鬘の姫君は、いつになったら実父・内大臣に会えるのか思い内大臣と源氏の君の間の板ばさみの玉鬘であった。大糸線 昭和21年、25年の災害調査写真資料 生写真40葉以上。一方、源氏の皮肉を聞いた内大臣も激怒。【古文書】蔵出し ■林羅山!江戸文政版『孟子』道春点漢籍和本古文■。雲居の雁のところへ出向いたが、夏の暑い盛りに単を羽織ってうたた寝していた姿に「はしたない」と説教する。1859年 観音経 折帖 検索⇒経折本 肉筆 写経 佛経巻 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 宣紙。またあまりに姫君らしくない近江の君の処遇に思い悩む。1936年 影本 集字聖教序 王義之 検索⇒珂羅版 玻璃版 旧拓 書道法帖 支那 印譜 法書 金石篆刻 王鐸 呉昌碩 原拓本 摩崖石刻 黄庭堅 趙子昴。そこで長女・弘徽殿女御の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。和本 江戸期 通俗西遊記 三編 (六冊) 一・二・三・四・五・七 【書林 高橋平助 高橋喜助】。
「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。能登外浦の釣り 図解入門 航空写真。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。●極上和本YM2677●〈ゑ入〉女訓抄(万治元年・婦屋仁兵衛板)往来物・教訓・仮名草子 極美本 ゆうパック着払い。この言葉は、「常夏」の巻の原文で「窓の内なるほどに従ひてゆかしく思うべかめるわざなれば」とある。【貴重!美品流麗繊細絵入古書籍】豊臣昇瑞録 合戦国武将軍浮世絵本木版画信長の野望大阪城本能寺の変兜天皇関白徳川家康日本歴史中国朝鮮。一般にごく普通の男でさへ深窓の両家の娘には心をひかれるが身分の高い六条院の内にいる玉鬘の姫のことを世間では美しいと評判ですよと源氏の君が玉鬘の姫君に伝える場面である。日本の戦時財政と其の弾力性 昭15 日本外交協會秘密文書 大蔵大臣桜内幸雄 ガリ版 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。玉鬘の姫君の美しさを中国の絶世の美女と称される楊貴妃をたとえた漢詩であることが「深窓」の文字からもくみとることができる。支那 古籍善本 唐本漢籍 皇朝類苑 皇宋事寶類 宋朝 木版刷 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 宣紙 白棉紙 影本 梅原郁 武進董氏刊。紫式部が「常夏」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。希少本 ★ 高田市史(附録:上越発展策) ★ 大正3年(1914)。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。0022177 和爾雅 全8冊(8巻)揃 貝原好古 大井七郎兵衛 元禄7。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
「常夏」の巻は英文で「Wild Carnations」と表記されます。E03-021 若竹 臨時号 紀元二千六百年記念文集 北海道私立小樽水産学校校友會。
《自筆上部の「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 明和4 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗 栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。本■生花独稽古 諸流秘傳 巻一、二、三 3冊セット 和本 華道 古書 古美術 時代物 骨董品■。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。★古書★ <限定800部>吉田 暎二 著 【 淸長 】 昭和28年9月発行(B561)。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。陣中兵器業務の参考・5冊/部外秘/陸軍工科学校編/昭和13年/軍J。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。1731年 画本圖貨 画譜 画帳 上中下合本 検索⇒木刻本 南画 唐画 絵本 浮世絵 木版画 木版摺 武士絵 支那絵 印譜 印存 法書道 唐土 唐本漢籍。)
「自筆原本」
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。031【レトロ雑貨】時代物 仏書 仏教 六祖法宝壇経 法宝壇経 上下 2冊揃 万暦甲申12年 1584年 古本 古書 和本。
自筆上部の「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。【和本】鉄斎先生書簡集 晩清荒神清澄寺内真言三寶宗宗務所 昭和39年12月。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。和本 履軒弊帚 上・下 合冊 中井履軒 儒学者/懐徳堂。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。深奥山方廣萬寿禅寺再入寺開堂拙語 明和8 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。時局に対する仏印態度 昭13 日本外交協會秘密文書 ガリ版 武器輸送 日本人放逐事件 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。明治期ビンテージ 「各種雛形精密圖入 銃砲正價報告書 上」 附取扱説明 金丸謙次郎著 非売品 明治27年9月改正 1890年代 SMN604(7-6)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。@kp044◆超希少本◆◇『 雅楽界 第48号 小野雅楽会創立80周年記念号 】◇◆ 小野雅楽会 昭和43年。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。E05-055 交流理論と過渡現象 森光三郎 書き込み・全体的に汚れ有り レトロ。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。●極上和本YM2668●建営往来[〈乾坤〉建営往来]明治年間刊 稀書往来物 京都 建築業組合内養成所習字部板。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。【貴重!江戸期繊細流麗武者絵入 美品】繪本豊臣武勲紀 合戦国武将軍浮世絵本木版画信長の野望大阪城本能寺の変兜徳川家康日本歴史中国朝鮮。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。●極上和本YM2931●〈進上・返状〉大坂状〈ひらがなてん付〉元禄頃 稀書往来物 美本。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。大正書簡文 脇坂景城 大阪 田中宋榮堂 ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 大正ロマン 大正 レトロ レア。》
《むめ(梅)の花の》・・・・ひら(開)けさしたるあさ(朝)ほらけ
おほ(覚)えて、のこ(残)りおほ(多)かりけにほゝゑみ給へるそ、
人にこと(異)なりける、とみ(見)たてまつ(奉)りたま(給)ふ。深奥山方廣萬寿禅寺再住持入寺拙語 慶應3 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。
「中将のいとさい(言)へと、心わか(若)きたとりすく(少)なさに」
なと申給ふも、いとおしけなる人の御おほえかな。印判秘決集 全。
やかて此御かた(方)のたよりに、たゝすみおはして
のそきたま(給)へは、すたれ(簾)たか(高)くおしは(張)りて、
五せち(節)のきみ(君)とて、されたるわか(若)人のあると、
すくろく(雙六)をそう(打)ち給ふ。【古文書】蔵出し ■極稀!江戸版和本『源氏物語湖月抄・蛍の巻』紫式部古文書■。て(手)をいとせち(切)に
おしもみて、「せうさい、せうさい」とこふこゑ(声)そ、
いとした(舌)と(疾)きや。大判 南宗名画苑 第10輯 1906年 張瑞図 盛茂燁 許友 中国 vbaa。「あなうたて」とおほ(思)して、
御とも(供)の人のさき(先)お(追)ふをも、
て(手)かき・・・・《せいしたまうて》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。●極上和本YM2801●納方手本[納方之覚]年貢・納税関連の稀書往来物。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《六条院の釣殿の宴・源氏の君、高欄によりかかる》
《源氏の君と明石の君の娘・明石の姫君が将来、天皇の后への夢を語る》
《源氏の君と明石の君の娘・明石の姫君が将来、天皇の后として立后》
《深窓の姫君(内大臣の娘・雲居の雁の姫君)を将来の后にと願う内大臣の心情》
《近江の君に行儀作法を身につけさせるため弘徽殿女御に仕えさせようとする内大臣》
《この女御(弘徽殿女御)のご容姿はきめこまかな美しさというのではなく、
まことに気品高くすっきりしているものの、情をたたえた
やさしさがあって、美しい梅の花の》・・・・・咲きかかった明け方の
風情(ふぜい)を思わせ、まだお言い残しのことがたくさんあるような
様子で笑みをうかべていらっしゃる。太平記・全5冊/明治34年/和装本/南北朝時代を舞台に後醍醐天皇の即位から2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任までを書く軍記物語。
(弘徽殿女御)「それがほかの人とはまた格別なものよ」
と内大臣はお思い申される。●極上和本YM2675●江戸和本●〈貞節教訓〉女式目(寛延4年)稀書往来物。
(内大臣)「中将(夕霧)が、じっさいなんといっても、
まだ考えが浅くて、よく調べもせずに……」
などと申されるにつけても、お気のどくな姫君のご評判ではある。聚興誠銀行 支票 漢口 中華民国 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 透かし 銀銭票 荘票。
内大臣(雲居の雁の姫君の父君)が、この女御の御方(弘徽殿女御)に
お越しのついでに、そのまま姫君(雲居の雁の姫君)のお部屋に
お立ち寄りになって中をのぞいてごらんになると、
簾(すだれ)を中からぐんと大きく張り出して、五節(ごせち)の君といって
しゃれた若女房がいるのだが、それを相手に双六(すごろく)を
打っておいでになる。明治初期ビンテージ 古書2冊セット「上刕伊香保温泉名所旧跡 全」「新編伊香保土産B 三編上」1870〜1880年代 SMN604(7-5)。しきりにもみ手をして、
「小賽(しょうさい)、小賽」と祈り願う声が、まことに早口なのだ。江戸期?肉筆写本「鍼灸抜粋大成巻上之末」仏教道教秘術人体図秘伝書日本の素朴絵。
なんと情けないと内大臣はお思いになり、お供の者が先払いの声を
出すのも手を振って・・・・・《お止めになり、なおそのまま
妻戸(つまど)の細目にあいている隙間(すきま)から、ちょうど
襖(ふすま)が開いている向こうの部屋をのぞいてごらんになる。●極上和本YM2667●本屋往来(大正11年複製)西川竜章堂 稀書往来物。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。郷土部隊写真帖/支那事変聖戦記念/陸海軍空爆日誌/昭和13年。
《Wild Carnations (常夏)》
Her father loved the way she had of making it seem
that a great deal was being left unsaid.
"Kashiwagi is young and naive, and he halted
his investigations before he had come upon the obvious."
He was not being very kind to his new daughter.
He thought he would look in on her,
since her room was not far away.
He found her, blinds raised high,
at a contest of backgammon.
Her hands at her forehead in earnest supplication,
she was rattling off her prayer at a most wondrous speed.
"Give her a deuce, give her a deuce."
Over and over again.
"Give her a deuce, give her a deuce."
This really was rather dreadful.
Motioning his attendants to silence,
he slipped behind a hinged door from
which the view was unobstructed through sliding doors beyond.
"Revenge, revenge," shrieked Gosechi,
the clever young woman who was her opponent.
Gosechi was not to be outdone in earnestness or shrillness.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《常夏》
得女儿竟与不同。●極上和本YM2783●〈頭書絵入〉百性往来童子宝[百姓往来]明和8年板・早印 禿箒子作 大本最古本 稀書往来物。便道:
“而言之,是中将年,思不周之故。●極上和本YM2857●甲越古状揃大全[甲越古状揃]B 倉鼠陳人作 歌川芳綱 横山有裕 安政6年・蔦屋吉蔵板 稀書往来物 美本。”
如此,在委屈了个近江君。い52-041 近世名流大家 真蹟書翰選集。
内大臣弘徽殿女御之后,乘便到北去探望近江君。C66-114 北海道水産試験場要覧 全体的に汚れ有り レトロ。
走到口,向内一望,但子高卷,
近江君正在和一个伶俐的青年侍女五君打双六。い52-037 松月堂古流 日本生花司 伝書 解説付。
焦灼地揉着手,快嘴快舌地叫喊:“小点子,小点子!”
内大臣此模,想道:“呀,不成子!”
便手制止了先的随从人等,
独自悄悄地走到旁,向里探。●極上和本YM2812●新撰百人一首 西村茂樹 明治16年 西阪成一注 原装・美本 ゆうパック着払い。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」常夏の巻の末尾(原本番号24-A)の押印。古文書「神祇道諸祓巻 上」肉筆 明治期 1点物 祝詞体系 折本 神道 経典 祝詞 神名 産土 戦前 資料 和本。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。古文書 明治三年 大里正拝命御書付 庄屋 中島家 塩田屋 天城 岡山県 倉敷。冬姫は内大臣・通誠の養女。『訓閲集』(きんえつしゅう)は大江家と多田源氏に伝わったとされる軍学書!江戸後期ビンテージ 訓閲集軍氣巻 書三巻 古書 SMN604。
冬姫は通称。深奥山方廣萬寿禅寺入寺拙語 安永8 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。正式な名は伊達貞子。資治通鑑 全100冊 294巻 明治新刻 東京印刷会社版。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。人形代手書き諸生靈祟悩病難除御秘符[VBp8]。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。●極上和本YM2918●〈新板〉教訓書〈并〉含状[初登山手習教訓書・義経含状](慶安4年)稀書往来物。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。和本 文中子 全4冊 深田厚齋校正 文榮堂藏版。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。鳳凰から野鳥まで幅広く載った当時の貴重な本!江戸期ビンテージ 鳥の図解本 図鑑 古書 1790年代 SMN604。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(常夏の巻)MRI 26―16B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「常夏の巻」の資料
下記写真は、源氏の君とその子息・夕霧を訪ねた内大臣の子息たちが源氏の君と話しをかわす場面を描いております中央が源氏の君、その左が夕霧。●極上和本YM2815●女四書(明暦2年板・原装7冊本)辻原元甫作 往来物・仮名草子 美本 稀書 ゆうパック着払い。そのほかが内大臣の子息たち。K3C3-240530 レア[新刻 太平記 貞享5年刊 バラまとめて11冊セット]藤井寺合戦事 住吉合戦事。
上記絵巻は、源氏の君と話しをかわす内大臣の子息たち。●極上和本YM2763●表書字筧・続表書字筧・表書字彙(3冊)3冊揃いは稀 黒井義光 東洲 稀書往来物。
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。再住深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 天保2 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。1940年 支那 現勢圖 汪精衛政府 地図 検索:満蒙 新京 鄭孝胥 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 蒋介石 張景恵 生写真 古建築 中華民国帝国。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。女学講義 大日女學會 明治三十七年九月廿五日 第四回 後期 第二巻・拾巻・十五巻・廿四巻、第七回 前期 第九巻~廿三巻 8冊 全12冊。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。Y3B3-240510 レア[和歌梯 文化11年 北村四郎兵衛 葛西市郎兵衛]女郎花。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。野村久太郎著 長田幹彦他文 水島爾保布他画『東都の名妓』大正6年 玄文社刊 大正時代の芸妓写真集 舞妓 芸者。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。日露戦争 日清戦争 画帖 明治期 検索⇒満州事変 光緒皇帝 袁世凱 張之洞 西太后 生写真 関東軍 奉天 大清帝国 李王家 朝鮮王族 支那 李鴻章。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。東洋政治思想史 村岡典嗣述 手製ガリ版 昭17 法学 日本思想史 東北大学 検) 日本史尾崎紅葉戦前明治大正古書和書古文書写本古本OD。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。当時物 風俗画報 第214号 明治33年8月 各地の納涼 徳島冨田橋乃上 納涼の図 浮世絵 木版。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。山鹿流兵法書并築城書之一括 山鹿素水自筆本并大垣藩士山本多右衛門自筆本他 寛延期〜明治初期。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。和本「戯場訓蒙図絵」江戸時代文化期 8巻/3冊揃 式亭三馬/著 勝川春英/歌川豊国/画 喜多川歌麿1枚有 絵本 滑稽本類 中本 保存良好。撮影後、展示のために再表装をしております。基督教年鑑 昭24 日本基督教団 キリスト新聞社 キリスト教新約聖書神学宗教学 カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン戦前福音書OF。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。郭注莊子 郭象 10冊揃 天明3年 荘子 道教 注釈書 春秋戦国時代 西晋 漢文漢詩漢学 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。C61-094 太平義臣傳 八 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。森琴石編『皇朝清国名家画帖 全』明治13年 吉住音吉他刊 彩色木版画譜 明治時代和本 中国絵画 中国美術 日本美術 文人画 南画。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。経文 御文章 和本-写本 文明6-8 文明6-8。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。工藝 91号 “絲の持味 第五考” 柳宗悦 日本民藝協会 機関誌 800部限定/伝統工芸 民芸運動 糸 織物 米沢 づんぐり 裂地 鈴木繁男 芹沢銈介。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。□敦煌吐魯番研究 8冊セット 北京大学出版社,中華書局[管理番号105]。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。四清印譜 検索⇒金石篆刻 書道 封泥 朱印泥 雅印存 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。原拓本 漢画像磚 検索⇒玻璃版 墨拓 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 翁方綱 董其昌 趙子昴 王義之 米元章。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。古文書「伊勢神宮 道中日記」明治二十三年 肉筆 お伊勢参り お蔭参り 参拝日記 信仰 旅路 記録 宿場 資料 75P 良好 (御朱印 和本。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。農具便利論 全3冊 大蔵永常 和本 農業 【A14】。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第4号 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]北条時宗 元使を斬る図。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【増補 大萬蔵節用字海大全】 片山敬齋遺稿並書 池田東籬亭閲正 文政11年。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。Y3B3-240517 レア[新訳 日本外史 昭和11年 1936年 津田正男]。母は後水尾天皇皇女女二宮。1932年 陶山紀事 小野賢一郎 民友社 再版 陶器全集 検索⇒ 支那 瑠璃盃 珂羅版 原色図鑑 金石篆刻 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 朱印 図譜。実母は近衛家女房(瑤林院)。C65-021 智永真草千字文 春潮社。幼名は多治丸。熊本十代藩主が家臣 山崎隼雄に与えた150石の知行宛行状と知行目録の2部。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。和本「瑩山禅師著 伝光録」2冊揃 明治18年 瑩山紹瑾 仏書 禅書 釈迦から懐奘までの曹洞宗歴代祖師の伝記集 古文書。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。写本 使者談 全八巻合本 寛延8年 福井成 越前藩 使者儀礼書 検)福井県 越前松平家 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。x005 大匠新雛形 上下巻 安藤喜助 盛林堂蔵版 明治■和本 建築 大工 装飾 鳥居 欄干。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。奥村土牛『スケッチ そのをりをり』大正9年 朝陽舎書店刊 彩色木版画56枚 日本画家の素描集・下絵集。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【印刷工芸】紫式部「源氏物語 繪合・行幸・柏木」 状態良 日本古典文学会代表久松潜一監修 元箱 昭和47年 y92271191。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。☆3268和本明治2年(1869)幕末志士作品集「志士小伝/興風後集」合1冊/吉田松陰/高杉晋作ほか/古書古文書/木版摺り。
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